火垂るの墓:海外の反応
「火垂るの墓」は、スタジオジブリが制作した1988年のアニメーション映画。第二次世界大戦末期の神戸を舞台に生き残ろうとする兄妹を描いており、それがネットフリックスを通じ海外190か国同時配信(日本は配信国に入っていない)ということで注目を集めています。
ウクライナ戦争で戦争有事への関心が高まっている時勢なので、世界的なユーザーの関心も高かったではないでしょうか?
日本においては、地上波放送で何度かフル視聴してストーリーを暗記していたり、真面目に見たことが無い人でも何となく内容を知っている映画ですが、海外においては結構未視聴層が多い感じの反応ばっかりなのが意外でしたね。
1. もう二度と見たくない名作
トトロやラピュタのような夢のある作品を生み出したジブリが、このような残酷なアニメを作っていたこと感銘を受けたという声が多いです。
名作映画ですが、戦争がもたらす飢餓、貧困、死といった描写をリアルに描いているので、無力な子供がご都合主義やファンタジーで活躍する物語に見慣れた現代の視聴者に対し、もう二度と見たくなくなるほどの深い衝撃とトラウマを植え付けました。
2. これは反戦映画ではない
とにかく敵を邪悪に描写し、困難に耐え打ち勝ってゆく自分と仲間の絆を美しく描き、虐げられている同民族や苦楽を共にした戦友との別れでお涙頂戴。
そうして争うことの醜さと愚かさを共感させてゆく、というのが、ハリウッド的な反戦映画のテンプレです。
しかし、火垂るの墓においては、邪悪な敵の存在がありません。
民間人を焼夷弾攻撃する描写こそあるものの、それは米国に対して憎しみをあおるような描写にはなっておらず、むしろ中盤以降において、主人公の清太は生活上の理由から米軍の民間人攻撃を応援するような立場になっています。
戦時が舞台の映画ですが、メッセージの本質は反戦ではなく、余裕のない状況で必至に生きようとするすべての人間の醜さと、肉体を失った死者の後悔と魂の清らかさであったことに衝撃を受けた外国人が多いようです。
3. 清太がクズで無能
清太のことはあえて、イラっとするように至らないキャラとして作られているそうなので、清太がクズで無能という反応が出てくるのは実は監督の狙い通り。
清太も節子もあまりにも服装が質素なのでピンときませんが、清太は現代風にいうと親は公務員のお偉いさん、エリート家庭の世間知らずなボンボン長男です。
そんな彼が涙の一つも見せず、目まぐるしい環境変化と空腹に耐えながら妹を愛し守ろうとしているから、結果はアレといえど、辛抱強く男らしい見上げた少年だと僕は思いますが…
まとめと感想
海外映画において戦争映画となると「ナショナリズム」や「イデオロギー」がちらつく作品となるのが当たり前であり、だからこそ、正反対の文学作品としての側面が強い「火垂るの墓」を見た衝撃は相当なものであるようです。
冒頭の清太のセリフからもわかる通り、「火垂るの墓」は清太の魂が反省と後悔で生前をふり返るストーリーとなっており、視聴者の状況に対する感情がどこまでも内向的になる作りになっています。
今、日本とひと悶着を抱えている国の人々へのステレオタイプな印象は、「外向的な悪意を持っている」=「不都合なことの原因を外敵に押し付けて、攻撃することが得意」ですが、なぜそれに対して日本人はこの30年間反撃せず、落ち着いた態度で付き合ってこれたのか?
「火垂るの墓」を見て深く考えた方々には、国を超えてその理由がわかってもらえる気がします。
まぁ、とはいっても最近は堪忍袋の緒が切れ気味ですが。。。 |
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